【コンサルタントコラム】役員報酬KPIは意思決定の質向上に寄与しているか?


株式報酬の普及に伴いKPIの多様化が進む中、役員報酬KPIは経営者の意思決定の質向上に寄与しているかを考察する
執筆者:プリンシパル/香椎 康太朗
株式報酬の普及とKPIの多様化
2015年のコーポレートガバナンスコード導入以降、日本企業の役員報酬は大きな変化を遂げたと言えるだろう。全上場企業の約6割にあたる2,303社が何らかの株式報酬制度を導入*1 しており、これは2015年時点(737社)と比べると、約3倍である。加えて、2025年7月時点の時価総額トップ100社に絞った弊社実施調査では、100社中90社で株式報酬が導入されており、もはや株式報酬はデフォルトとなりつつある。
株式報酬の支給に関連するKPIについても転換が見られる。従来から一般的であった売上指標に加え、株価に関連する指標(TSRなど)や非財務指標(ESG関連指標など)が用いられるケースも増えるなど多様化している。
KPIの多様化が起こす実態
一見して、日本企業の役員報酬は、株式報酬の普及や評価指標の多様化を背景に、制度としての完成度を高めているように見える。しかし、その設計は経営者の意思決定を本当に規律づけているのだろうか。時価総額トップ100社のLTIに対する業績指標に関する弊社2025年度調査では、平均して約3.5個のKPIが設定されており、5個以上のKPIを設定している企業は約34%に上る。2023年度に行った弊社同KPI数の調査では平均約2.7個であり、5個以上のKPI設定は約19%であり、増加傾向にある。経営環境の複雑化も相俟って達成すべき指標が多様化する中で、どれを優先すべきかが経営者にとって見えにくくなり、インセンティブとして本来期待される「行動の方向付け」が十分に機能しにくくなっていないだろうか。追いかけるものがシンプルであればあるほど、エネルギーを集中しやすいというのは想像に難くないであろう。
先に挙げた傾向は日本に特有のものではない。株式報酬に関して先陣を切る米国では、役員報酬の複雑さに対して問題提起が既になされている。多くのCEOや経営幹部報酬が複雑になり過ぎており、自分自身の報酬パッケージやKPIの達成方法すら把握できていないと機関投資家が指摘している事例もある*2。また、CEO報酬の複雑性(業績指標の数に加え、評価期間や業績評価の基準など)が高くなることによって情報過多となった結果、経営者は適切な意思決定が困難になり、将来的な企業の財務および株式リターンが悪化するという主張もある*3。これは、KPIを高度化すること自体が、必ずしもインセンティブの強化につながらない可能性を示唆している。
KPI多様化・精緻化が機能しにくい理由
ではなぜ、KPIの多様化・精緻化は必ずしもインセンティブの強化につながらず、また企業のパフォーマンス向上につながりにくいのだろうか。その背景には、設計の巧拙だけでは説明しきれない、いくつかの構造的な要因が存在する。
第一に、KPIの多様化によるインセンティブの希薄化である。近年、財務指標に加え、TSRなどの株価指標やESG指標、さらには個人評価項目などが組み合わされるケースが増えている。こうした多面的な評価は企業価値創造を幅広く捉える点では合理性があるものの、指標が増えるほど個々のKPIが示すメッセージは相対的に弱まりやすい。企業によっては、ある指標が一つの報酬項目のうち、数パーセント程度しか寄与せず、目標の達成有無が報酬変動に対して微々たるものでしかないケースも見られる。結果として、「経営者にとって何を優先するべきか」が曖昧となり、インセンティブとしての方向性を失ってしまっているのではないだろうか。
第二に、KPIの設定自体が形式化されている側面が見受けられる点である。本来、業績連動報酬におけるKPIは、経営が重視する戦略や優先課題を明確に反映し、それに沿った意思決定を促すために設定されるものである。しかし実務上は、開示や他社動向への対応を主な目的としてKPIが設定されるケースも見られ、必ずしも経営としての明確な意思を伴っていない場合もある。実際に、ESGをはじめとする各種報酬指標の増加は、株主の同意を得ることを目的としている側面が強いと主張する研究*4もあり、経営者の努力を方向づけることに上手く寄与できていない可能性を示唆している。また、問題はKPIの項目選定だけではなく、その設定水準にも繋がる。近年増加している非財務指標を中心に、目標未達となるケースが極めて少ないことが指摘*5 されており、仮に達成が前提となるような水準設定が行われているとすれば、それは経営者の行動変容を促す指標というよりも、制度上「組み込まれていること」に留まっているとも言える。このような状況から、KPIは意思決定を方向付けるための指標ではなく、制度として「存在させること」自体が目的化しており、KPIが「何を重視すべきか」を示すものではなく、「何を説明すべきか」、「どんなKPIを設定すれば株主から指摘を受けないか」を証明するものへと変質している可能性がある。
意思決定の質向上に寄与するKPI設定とは
以上を踏まえると、問題の本質はKPIの有無や設計の緻密さではなく、それが経営者の意思決定をどこまで規律づける力を持っているか、すなわち「目的」にあると言えるだろう。KPIは単に設定されているだけでは意味を持たず、それが経営として何を重視し、どの方向に意思決定を導くのかを明確に示すものでなければならない。
この観点から重要となるのは、KPIの数や種類を増やすことではなく、限られた重要指標に絞り込み、それに対してどの程度の重みを持たせるのかを明確にすることである。すなわち、KPIは「何を説明するか」を示すものではなく、「何を実現すべきか」を明確にするための装置として再設計される必要がある。そうでなければ、KPIはいくら精緻化されたとしても、経営者の行動を変える力を持ち得ない。
日本企業の役員報酬は、この10年で制度としては大きく進化した。しかし今問われているのは、その制度が実際に機能しているかという点である。制度の存在が目的化するのであれば、それはもはやインセンティブとは言えない。今問われているのは、KPIを「設定すること」ではなく、それによって経営者の行動を本当に変えられているのかという点である。
*1: 内閣府規制改革推進会議スタートアップ・イノベーションWG(2023)「株式報酬の活用促進に向けた有価証券届出書の開示規制の緩和について」
*2: Financial Times (2015),Executive pay: The battle to align risks and rewards
