【講演録】Pay Transparencyの最前線と日本企業が直面する課題


コーン・フェリーでは2026年6月2日に「Pay Transparencyの最前線と日本企業が直面する課題」と題するオンラインセミナーを開催しました。以下はその講演録です。
コーン・フェリー・ジャパン クライアントリレーションシップマネジャー 森友 嘉徳
今、世界の人事関係者の間で大きなトレンドとなっているのがPay Transparency(報酬の透明性)だ。その先進地域である欧州においては、2026年6月のEU Pay Transparency Directive(報酬の透明化指令)施行を受けて、各国で具体的な制度上の論点が顕在化している。このPay Transparencyは日本企業にとっても決して他人事ではなく、欧州に支社やオフィスを置く企業は対応を迫られる。そこで、EUにおける実務上の課題感と日本企業が抱える人事制度運用上の課題を浮き彫りにし、必要となる制度整備のポイントを確認するとともに、課題解決のアプローチや方法論を紹介する。なお、Pay Transparencyの基本については2025年4月に実施したセミナーの講演録を参照されたい( https://www.kornferry.com/jp/insights/article/pay-transparency-webinar-report-2025-4 )。
■Pay Transparencyの最新動向
Pay Transparencyは以前は「給与の透明性」と日本語訳されることもあったが、給与に限らず賞与、各種手当、退職金も含む広義の報酬を指すことから、本セミナーでは「報酬の透明性」とする。
EU Pay Transparency Directive(欧州の報酬透明化指令)は2023年5月10日に欧州27カ国で採択されており、同加盟国は2026年6月までに自国の国内法へと法制化する義務を負っている(図表1)。しかしながら、2026年5月の段階において、国内法化が完了しているのはスロバキア、イタリア、フィンランド、リトアニアなど一部の国に過ぎず、多くの国が法案策定中の段階にあるほか、未着手の国もある。全体的に予定より遅延していると言えるだろう。

企業には具体的に何が求められるのか。国によっても違うが、概ね従業員150人以上の企業は、大きく3つの対象向けに対応を求められる。まず社内向けとして、一貫した報酬制度の原則や枠組みについて従業員に説明する義務が生じる。次に社外向けとして、求職者に対して給与レンジを開示すること、そして前職の報酬額を聞くことが禁止されることになる。最後に監督官庁向けとして、従業員グループ間、特に性別間の報酬格差を分析し、報告する義務が生じる。簡単に言えば、Pay Transparencyの本質は報酬制度の合理性と説明責任を確保することにあると言える。
■Pay Transparencyが日本企業に及ぼす影響
ここからは日本の報酬透明性の現状と今後の方向性についてご紹介する。現時点では、欧州のPay Transparencyの指令がそのまま日本に及ぶことや、日本でも法制化されることは考えにくい。その背景として、3つの構造的要因がある。1つ目は社会的多様性だ。欧州は多様なため報酬の差が差別として顕在化しやすいのに対し、日本は比較的同質性が高いこと。2つ目は法制度の設計思想。欧州では個人の権利保護が起点となるのに対し、日本は集団の調和を重視している。3つ目は法的強制力だ。EUでは罰則や是正義務などを強く科せられるのに対し、日本では罰則を伴わず、段階的是正で済むケースが多い。さらには、ジョブ型とメンバーシップ型という雇用システムの違いも大きな差だと言える(図表2)。

日本の「同一労働同一賃金」は正規と非正規の間の待遇差を対象とし、「同じ仕事をしているか」を問う。一方、EUの報酬透明化指令が求める「同一価値同一賃金」は、異なる職種であっても職務評価を通じて「組織に対する価値が同等」と判定されれば報酬差の説明を求めるものであり、射程が根本的に異なる。
日本では欧州型の「是正義務」「個人の情報請求権」の法制化は見通しにくいが、3つの経路で実質的な強化が進行している。第1に法的義務による強化(女性活躍推進法の義務拡大、同一労働同一賃金ガイドライン改定)、第2に政策誘導による浸透(人的資本可視化指針、骨太方針等)、第3にグローバル外圧の波及(投資家からの開示要請、EU拠点要件の日本本社への波及)である。すなわち、日本では「法的義務」を基盤としつつ、「政策誘導」「グローバル外圧」が重層的に作用し、報酬格差の可視化と説明責任は徐々に、しかし確実に強化される方向にある。

欧州に支社やグループ会社を置く日本企業については、当然のことながらEUと同等の対応が求められることになる。ここからは、日本企業が陥りがちな制度運用課題について、3つのケースをもとに紹介したい。
1つ目のケースは、ダブルラダーの形骸化だ。処遇の多様化の実現から、例えばラインマネジャー職とプロフェッショナル職という管理職層に昇進・昇格までの2つの道筋(ダブルラダー)を用意したものの、実際に運用する際はプロフェッショナルの等級がラインマネジャーの1等級下に固定化されてしまうというもの。海外赴任からの帰任者、買収後や役職定年後の処遇などでよくある話ではないだろうか。この場合、職務に求められる職責・スキル・経験等を反映したあるべき処遇体系から離れて「ライン=上位」「プロフェッショナル=下位」という暗黙の序列が定着してしまいがちで、プロフェッショナルがラインより低いことの合理的な説明がしにくい。解決策としては、プロフェッショナル職の職務タイプの類型化、影響度や貢献度する軸の追加、専門性や職務難易度を測るモノサシの活用、といったことが挙げられる。
2つ目のケースは、事業部門間の報酬格差だ。複数の事業部門を有する組織において、特定部門だけ業績好調という場合だ。例えば近年のAIブームで、それに関連する部門だけ際立った業績をあげていることがある。この場合、好業績部門では、事業の急成長に伴い職務のスコープ・責任・経営インパクトが大幅に拡大しているにもかかわらず、等級は従来のまま据え置かれたままということがある。また、賞与配分に傾斜をつけることは経営判断としては合理的だが、それを超えた基本給や手当での例外措置が常態化し、同一等級内の報酬格差が発生しがちだ。さらに、現行の等級制度では変化した部門の等級価値を測定する仕組みがないため、報酬差の説明責任を果たせず、社内に不満が蓄積することもある。解決策としては、事業部門の業績の違いには企業価値の違いがあると考え貢献度を再確認する、経営戦略を実現する組織の在り方(To-be)と現状(As-is)の確認といったことが挙げられる。
3つ目のケースは、海外拠点長の報酬調整だ。海外拠点において、ナショナルスタッフの報酬を現地マーケットデータでベンチマークしているものの、現状水準との乖離が大きいため、意図的に数段階下げて運用するというもの。これは客観的かつ合理的な手法に基づかない「調整」とみなされた場合、グローバルな報酬透明性の観点から説明責任を果たせず、欧州の報酬透明化指令適用国では法的リスクに抵触する可能性が高い。解決策としては、海外拠点幹の報酬体系を日本と切り離す、経営戦略を反映した職務の大きさを算定し、マーケットデータを活用して現状とのギャップの確認とする、といったことがある。
これら3つのケースは異なる事象に見えるかもしれないが、大きな共通点として等級制度の設計・運用の不備がある(図表4)。ハード面(制度)では客観的かつ一貫性を欠いており、ソフト面(運用)では制度はあるが運用が形骸化しているのだ。そして、この課題は日本企業に限らず、海外企業でも散見されている。

■報酬制度高度化へのアプローチ
等級制度の不備が根本原因であるならば、その解決策として客観的な基準に基づく等級制度の再設計が必要となる。ここからはその道筋を示したい(図表5)。このアプローチはフェーズAの準備段階、フェーズBの職務評価・グレーディング、フェーズCのPay Transparency法への対応、と大きく3段階に分けて通常半年ほどかけて実行する。

この中ではフェーズBが中核となり、最も時間とリソースを投じることになる。例えば現状の職務評価基準だけでは、拠点や職種を横断した職務価値の比較がしづらかったりする。同一価値を図るにはジョブ・アーキテクチャという基準が必要となる。これは企業内のすべての職務価値を体系的に整理した枠組みで、統一的な尺度によるポジション管理と価値の測定が可能となる。つまり、ジョブ・アーキテクチャによって報酬格差の分析が可能となり、報酬格差の要因を言語化や数値化して説明可能となる。Pay Transparencyを実現するための基盤とすることができるのだ。
最後に、本日のセミナー内容をまとめたのでご覧いただきたい(図表6)。

■Q&Aセッション
Q1 ダブルラダーのプロフェッショナル職の職務タイプの類型化について、具体的に教えてほしい。
A1 当該企業は製造業で主に技術職・開発職がプロフェッショナル人材の所属する組織であったことから3つに類型化した。
・研究・知見発信型
・技術伝承型
・高度専門領域型(M&A等)
Q2 欧州に子会社がある場合は、日本本社もPay Transparency Directiveの影響を受けるか?
A2 日本本社は法的には直接の適用対象ではない。一方で、欧州子会社における開示義務・説明責任の高度化により、グローバルでの報酬一貫性やロジック整合性が求められるため、日本本社の制度・運用も実質的な見直しを迫られるケースが多く見られる。
Q3 同一価値の平均賃金情報とは具体的に何か?
A3 一般的には以下の情報が整理・提供される。
・同一価値グループ単位での平均値・中央値等の統計値
・個人の給与水準との比較
・男女間賃金差の有無および差異要因
具体的な開示内容や提供方法は各国の国内法により異なるが、従業員が自身の位置づけを理解できる水準での透明化が求められる。
Q4 同一労働と同一価値の違いを社員に説明することに難しさを感じたが、コミュニケーションする上でのポイントは?
A4 同一労働は「同じ業務・同じ仕事内容」を前提とする。一方で同一価値は、「責任・影響範囲・必要スキル等に基づく価値評価」により、職務内容が異なっても横断的に比較可能となる点が特徴だ。
Q5 ジョブの絶対数が増えない場合のキャリアパスが課題だ。
A5 職務数が限られる場合は、「職種」以外の軸を設計することが重要となる。具体的には
・コンピテンシー軸
・スキル専門性軸
・業務難易度/影響範囲軸
などを用いることで、職務数に依存しないキャリアパス設計が可能となる。
Q6 説明不能な報酬格差を解消する上で、調整幅のシミュレーションはどのように決定していくのか?
A6 個別ケースに応じた判断となるが、一般的には以下の観点で設定する。
・統計的に有意な格差の水準
・市場水準との乖離
・内部整合性(同一価値グループ内位置づけ)
これらを踏まえ、段階的調整シナリオ(即時是正/複数年調整)を設計する。
Q7 職務評価にジョブ・アーキテクチャという職務別の要素を含めることの意義について教えてほしい。
A7 組織ベースの整理でも一定の把握は可能だが、個別ポジション単位のため、組織変更や新設により経年で歪みが生じやすい構造となる。一方でジョブ・アーキテクチャは職務を事前に体系化することで、将来のポジション変化にも耐えうる形で同一価値の比較・管理を可能にする。
Q8 ペイ・レンジを公開する場合、法的義務になっていない日本においては、社員のモチベーション低下が懸念される。
A8 モチベーション低下のリスクは、制度よりも「説明可能性の不足」に起因するケースが多く見られる。そのため、開示に先立ち
・等級/評価ロジックの明確化
・現状のギャップの把握
・従業員との期待値調整
を段階的に実施することが重要となる。適切に設計された場合、むしろ自律的なキャリア形成を促進する効果も期待される。
